2006-02-11

才能の話

posted by 水城正太郎 at 17:13

 才能の話、なんてぇと重い話のような気がするけれど、それほどでもないんですわ。
 えー、先日『書の至宝展』に行きまして、そのときに才能ってものの存在を感じました。ですが、まぁ、「偉大な才能に触れて……」なんてことではありません。

「さっぱりわからなかったのでございます!」

 いや、本当に。大体、その展覧会は、日本と中国の歴史上有名な『書』を集めたもので、古今和歌集から皇帝へ献上された巻物なんてものまであるわけです。まぁ、それを見てなんらの感慨も抱かないということになると、まさに「自分には書の才能がない!」わけです。
 「自分には才能がない」という言葉は、創作をしている人からはよく聞ける言葉ですが、今回の出来事に遭遇し、「それは字義通りではない」ということに気づきました。本当に才能がないと、次のような事態が起こります。
・善し悪しが理解できず感動もできない
・理解できなくても悔しくもなんともない
・というかとにかくどうでもいい
 「“本物に触れれば……”とか“訓練次第で必ず上達する”とか、そんなことはないのだなぁ」、と強く感じました。逆に理解できる程度でも“才能が少しはある”と言えるわけで、つまり人間は大抵のことに才能があるわけです。となると“才能が少しでもある”ことを発見して大切にするのはそれこそ“誰にでもできる”わけで、悩まずに行動する以上のことはしなくていいわけですね、おおかたの場合。
 一方、“才能がないことについて悩む”ことの真の意味は、“義務としてしなければいけないが自分には才能がないことをいかに他人に頼むか”ですね。しかも依頼しているのに、その善し悪しは自分では判断できないうえに、そもそもどうでもいいわけですから……。
 まぁ、なんにせよ、俺の書についての才能のなさは圧倒的です。誰にも負けませんよ! 証明はできませんが……。